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東京高等裁判所 平成4年(ネ)3679号 判決

控訴人

菅谷シヅ子

右訴訟代理人弁護士

田見高秀

飯野春正

被控訴人

牧野尚子

菅谷昭男

菅谷正樹

富本結花(旧姓大塚)

井上こずえ

右五名訴訟代理人弁護士

平岩正史

赤坂俊哉

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

1  原判決を取り消す。

2  亡菅谷善夫が昭和五五年一一月三〇日になした原判決別紙記載内容の自筆証書遺言は無効であることを確認する。

二被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

第二事案の概要

本件は、亡菅谷善夫の後妻である控訴人が亡菅谷善夫の先妻の子である被控訴人らに対し、亡菅谷善夫の自筆証書遺言の遺言書自体に押印がないとしてその無効確認を求めたところ、原判決がこれを棄却したので、控訴人が控訴した事案である。

以上のほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これをここに引用する。但し、原判決二枚目裏七行目の「その封筒」の次に「(以下「本件封筒」という。)を加え、同一〇行目冒頭から同三枚目表二行目末尾までを次のとおり改める。

「二 (争点)

本件封筒の封じ目にされた右押印が亡善夫によってされたかどうか。それが否定された場合には、本件遺言は自筆証書遺言として無効か。それが肯定された場合にも、本件遺言書自体に亡善夫の押印がないから、本件遺言は、自筆証書遺言として無効か。」

第三当裁判所の判断

一本件封筒の封じ目左右二か所になされた「菅谷」の押印は亡善夫によってなされたものか

被控訴人菅谷昭男本人尋問の結果及び控訴人本人尋問の結果の一部によれば、亡善夫の通夜の行われた平成二年五月一〇日夜、群馬県吾妻郡吾妻町大字郷原三六〇番地の亡善夫宅(すなわち、控訴人宅)において、同被控訴人が、控訴人から鍵を出して貰い、金庫を開け、本件遺言書在中の本件封筒を発見したこと、その際その裏に右押印がなされていたことが認められ、右認定に反する控訴人本人尋問の結果はあいまいで採用できない。

本件遺言書及び本件封筒の筆跡が亡善夫の自筆であることは当事者間に争いがない事実及びその発見の右経緯に亡善夫が生前右印のような認め印をいくつか持っていたこと(当審控訴人及び同被控訴人菅谷昭男各本人尋問の結果)を総合考慮すれば、右押印は亡善夫によりなされたものであることが推認される。

二本件遺言書の効力

1  自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日附及び氏名を自署し、これに押印することを要するが(民法九六八条一項)、同条項が自筆証書遺言の方式として自署のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自署とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保するところにあると解されるから、押印を要する右趣旨が損なわれない限り、押印の位置は必ずしも署名の名下であることを要しないものと解するのが相当である。

2  以下、これを、本件についてみることとする。

(一) 本件遺言書は、書簡形式の特殊な形態のものであるが、これが単なる書簡でなく、遺言書の性質を有するものであることは、①内容が遺産の処分に関するうえ、「小生の意思を尊重せられんことを切望す」と記して締めくくられていること、②本件封筒の宛て名は被控訴人菅谷昭男、同正樹であるが、宛て先は亡善夫及び控訴人の住所であって、同所には右被控訴人両名は既に居住していなかった(被控訴人菅谷昭男本人尋問の結果)こと、換言すれば、亡善夫は、本文冒頭に記された名宛人である右被控訴人両名に宛てた書簡を自宅に配達を受けて自己が受領する目的で差し出したと考えられる書簡であること(この点で〈書証番号略〉が亡善夫から被控訴人菅谷昭男の現住所に宛てられ、同被控訴人が受領した書簡である〔同被控訴人本人尋問の結果〕のとは異なる。)、③九年余の長期間金庫に保管されてきたと考えられること(控訴人本人は、遠い過去の書簡の内容が亡善夫の最終意思とされるのは、末期における同人との良好な関係に照らして、納得できない旨供述するが、昭和六三年中に書かれた書簡と推認される〔被控訴人菅谷昭男本人尋問の結果〕前記〈書証番号略〉も、控訴人との関係では、本件遺言書と概ね同旨の内容である上、遺言者は何時でも遺言を取り消すことができる(民法一〇二二条)ことに照らし採用できない。)などからみて明らかである上、遺言書であるのに書簡形式がとられた理由は、本件遺言書の末尾に、「念のため郵便局から郷原宛て出す」とか、「郵便局の消印を証明とする」とか記載されているところから了解が可能なものであるといえる。

(二) 一般に書簡の場合、それが通常の手紙であれば封筒の封じ目に押印まではしないのが普通であると考えられ、その在中物が重要文書等であるときには封筒の封じ目に押印することのあることは珍しいことではないと考えられる。この場合の押印の趣旨も、在中の重要文書等について差出人の同一性、真意性を明らかにするほか、文書等の在中物の確定を目的とし、かつ、このことを明示することにあると考えられ、本件遺言書も書簡形式をとったため、本文には自署名下に押印はないが(書簡の本文には押印のないのが一般である。)、それが遺言書という重要文書であったため封筒の封じ目の左右に押印したものであると考えられる。そして、右押印は、本件封筒が前記(一)に判示のような形で郵送されていることをも併せて考えれば、本件遺言書の完結を十分に示しているものということができる。

(三) 右印は亡善夫の実印ではないが(当事者間に争いがない。)、遺言書に実印の押印は要件ではなく、認め印でもよい。

以上の判示に照らせば、本件遺言書が自筆証書遺言の性質を有するものであるということができ、かつ、その封筒の封じ目の押印は、これによって、直接的には本件遺言書を封筒中に確定させる意義を有するが、それは同時に本件遺言書が完結したことをも明らかにする意義を有しているものと解せられ、これによれば、右押印は、自筆証書遺言方式として遺言書に要求される押印の前記趣旨を損なうものではないと解するのが相当である(なお、控訴人は、封筒上にされた押印は、遺言者以外の者によっても押捺され易いから、遺言者の死後、この点に関する確認が困難で争いを生じ易い旨主張するが、遺言書を密封することは要件ではなく、開封の遺言書もあるのであるから、控訴人の右主張は、右解釈の妨げとなるものではない。)。

3  従って、本件遺言書は、自筆証書遺言として有効である。

第四結論

よって、控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却した原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤滋夫 裁判官矢﨑正彦 裁判官水谷正俊)

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